かつて桑の特産地だった桜江町
地元の人から農業技術を教えてもらい、声が掛かれば手伝いに出向いていく。古野さん夫妻が町に溶け込むのに、そう時間はかかりませんでした。そんなとき、町の古老から、こんな言葉を聞かされるようになりました。
「桑畑を何とかしなければなあ…」
「私が学校を出られたのは、おカイコ様のおかげだから…」
桜江町はかつて島根県最大の養蚕産地だったのです。
桑はもともと7世紀頃、中国・唐から養蚕用として移入されました。先進地の関東に養蚕を学んだ江ノ川流域一帯は、明治期、国内屈指の生糸産地に成長しました。頻発に氾濫する江の川流域の土壌は肥え、そのため、この地にできる桑の葉は厚くて大きく、生糸を採るカイコの繭も大きかったのです。旧桜江町内だけで昭和初期のピーク時には、桑畑は約300ヘクタールもありました。
ところが1970年以降、養蚕はすっかり衰退してしまいます。化学製品の台頭、中国の安い生糸の輸入に太刀打ちできず、80年代には町から養蚕が消え、使い道のない桑畑だけが残りました。
かつて町を支えていた桑は、いつしか邪魔もの扱いされるようになりました。町の予算をつかって桑の伐採が行なわれるほどです。
桑の生産技術は活かす場を失い、町のプロフェッショナルたちは、複雑な思いで日々を過ごしていたのです。