オーライ!ニッポン大賞 ライフスタイル賞


田村義夫さん、えり子さん

青森県弘前市


 田村義夫さんは東京都生まれ、長野県のスキー場のアルバイト中にえり子さんと出逢い、以前より夢だったレストラン開業を実現するために、昭和54年にえり子さんの実家である弘前市(旧岩木町)へ移住。義夫さんは、りんご農家や遊漁場食堂の従業員として、またえり子さんは小・中学校等の教諭に勤務し、昭和57年に自宅とレストラン開業に向けた土地を購入。その後、建設許可や資金調達に時間を要し、昭和62年に自宅兼ペンション「カルフール」を開業し、自家栽培のハーブと野菜・果物、自然の湧き水で育ったニジマス等を使った創作西洋料理を提供して好評を得ている。
平成7年には農林漁業体験民宿の青森県第1号登録者となり、農業の合間に宿泊と地場産品を提供する農家レストラン経営に変化。平成12年からは、子ども夏休み教室や修学旅行の農作業体験、小中高校の食農教育等の受入が増えたことから、平成13年に津軽広域地域の農業者と連携し、体験施設や人材をネットワーク化した「つがる里山体験塾」を組織し、情報受発信サテライト機能の充実を図りながら交流事業を展開している。平成14年度には、広域連携津軽・ホットステイネットワークを設立。初代会長として、安全対策や体験メニューの充実を図り、1校260名のファームステイの受入を可能にするなど、地域のリーダーとなり、積極的にグリーン・ツーリズムを推進している。
今後は、りんごを活用した「地域ブランド品」の開発など、りんごを丸ごと利用した雪国ならではのエコ活動とグリーン・ツーリズムを結びつけ、冬時期でも農家が家に居ながらにして経費をかけず、楽しく経営と生活を営むことが出来るような取り組みの実現を目標に取り組んでいる。



見永豊子さん

広島県神石高原町


神石高原町永野地区は、人口240名、87世帯、高齢化率47%の集落であり、地域づくり活動を行う地域自治組織「ながの村自治振興会」を組織している。また永野地区では、平成13年に地元永野小学校が休校することを受け、自治組織の活動拠点として、また都市住民との交流の拠点として、宿泊機能を整備した「ふれあいセンターながの村」をオープン。地域の世話役として活躍する「村長」を全国から募集したり、永野地区内にある断崖絶壁の渓谷「下帝釈峡」を活用し、ながの村全世帯とロッククライマーが公園整備や道路脇の草刈りなど清掃活動を通じた交流事業を行うなど、集落が一体となった積極的な地域づくりを実践している。
見永豊子さんは、永野地区の住民で現在79歳。集落維持への危機感を持つ住民の1人で、自治組織活動には積極的に参加している。外国人研修生の受入に参加し、自分の畑で採れた野菜等の提供や、交流施設の草刈り、清掃ボランティアにも参加している。
見永さんの自宅には、毎年5月にフクロウのヒナが訪れることで、地域でも有名である。平成3年5月、仕事から帰宅すると玄関の納戸にネコと仲良く座るフクロウのヒナの姿が訪れて以来、「一人暮らしの私に幸運を運ぶフクロウ(不苦労)」と思い、2週間ほど世話をし、森へ放す営みを19年間続けている。そのことが地元メディアを中心に大きく報道され、地域資源の1つとして多くの人が訪れることのきっかけに繋がっている。
フクロウの訪れる幸福を独り占めしない方が良いと考える反面、人間と野生動物の共生との観点から自然の営みを決して壊したくないという思いから、ふれあいセンターながの村が見学者との間に入り、調整を行うなどの配慮を行っている。
フクロウに象徴されるように、地元の自然環境や集落の伝統を大切にしつつ、都市住民や海外からの人々の受け入れを積極的に楽しんでいる。



金子数栄さん

長崎県長崎市


 金子数栄氏は東京都出身の67歳。ゴルフ雑誌の編集長を歴任し、平成6年に退社。高校、大学と山岳部に所属し、またトライアスロンで訪れた土地の生活を感じるうちに、自然の中で暮らしたいと思い立ち、妻君子さんに相談。小さい頃から自家栽培の経験があった君子さんはすぐに賛成。3人の子どもが社会人になったことをきっかけに、情報収集や、各地に足を運ぶ中で、町が熱心に動いてくれた旧琴海町に、退職金等を元手に土地を購入し、琴海町第一号のIターン者として移住。新規就農者として農業を始め、4年をかけて漁業権を得て、現在は、半農半漁の自給自足の田舎暮らしを実践している。
その様子が、多くのテレビ番組(全国放送)や雑誌・書籍で紹介されると、全国から田舎暮らしを希望する人が殺到する中で、ホームページ「田舎暮らし狂想曲」や大学等での講師、また電子ブック「田舎暮らしの鉄人」等により、実体験体を元にした田舎暮らしの様子を広く情報発信している。
平成20年には、町内の有志と「長崎琴海グリーンツーリズム研究会」を設立すると共に、体験民宿「鉄人の宿・金子農園」を開業し、これまで以上に親身に、田舎暮らしを希望する人を応援している。
移住するにあたって、「頼まれたことは何でも断らずにやろう」と決め、地域の行事にも積極的に参加。町民代表としての様々な活動の委員へ就任し、区長へも選出。君子さんも、きんかい味彩市(直売所)や加工グループ「まんま」の理事を始め、様々な地域活動の役員として参加してり、地域のリーダー的存在である。半農半漁、地域活動に多忙な中でも、四季の移ろいを体全体で感じ、田舎の温かさに包まれる生活は、「きついけど、つらくない」。さらに田舎暮らしを充実させながら、今後は子どもや若者が明るく元気になる場所づくりを目標に、これからも心が豊かになる暮らしがあることを伝えていきたいとしている。



鷲頭栄治さん

大分県九重町


 鷲頭栄治さんは、昭和26年に農家の長男として生まれ、高校卒業と同時に就農して以来、専業農家として水田(10ha)と酪農(親牛100頭)を営んでいる。そして、家族がそれぞれの役割を持ち、鷲頭さん夫婦と長男は農業、両親は椎茸づくり、長女・次女は農家レストランの経営、長男のお嫁さんは子育てと家事を担当し、お互いが忙しい時は、労働を補いながら、家族が一緒に賑やかに暮らしている。
平成16年に、子ども達や都会の人たちへ大自然の営みを体験してもらいたいと、農家民宿の許可を受けて本格的な受入を開始。また、自分の育てた安全安心な肥育牛の牛肉や米を直接消費者に届けたいと、平成15年に開業した念願の「農家レストランべべんこ」とともに、生産者と消費者との交流を図っている。
毎年4月第二週末には「べべんこ誕生祭」を開催。牛乳消費拡大に繋がればと、農泊時に子ども達に乳搾り体験を提供する酪農家に参加してもらったり、母校である農業高校の生徒自らが作った野菜や加工品等を販売したり、長男の農業青年部仲間が野菜や加工品を持ち寄ったりと、様々な主体が参加するお祭りになっている。また、後継者育成にも取り組んでおり、地元農業高校を始め、他県の農業大学生や高校生などの研修や実習を積極的に受け入れている。
18haある草の収穫期に農泊の受入が重なるなど、農業と農泊受入の両立には工夫が必要ではあるが、忙しければ忙しいなりの農家の生活体験を子ども達に提供し、より深い理解に繋げている。農家レストランにおいても、近所の主婦に応援を頼んで人手不足をカバーするなど、経営にも工夫を行っている。今後は、農家レストランで使用する牛肉を100%自家肥育牛に近づけること、牛50頭増頭、自家製加工品(コロッケ・米・ブルーベリージャムなど)の通信販売など6次産業化に取り組むべく、家族が一丸となって夢を広げて取り組んでいる。